どん底から始まった藤フーズとは

2021/10/14

下関でふぐの通販、ふぐのギフトを生業としている藤フーズ。
今では全国の百貨店御用達のお店となりましたが、ここまでくるのに色々ありました。本当に。

当社代表の青木は、防府の料亭で3年、お寿司屋さんでの修業を経て、22歳にして独立しました。31歳になったとき、お店は3店舗に増えていましたが、結果的に全ての店舗が潰れてしまいました。腕には自信があり、周りからの評価も高く、板前としては十分な実力を持っていたのですが、経営者ではなかったのです。
最終的には3000万もの借金がのしかかり、妻も家も失い、夢も希望もない日々が続いてました。

そんな時に当時の旅館組合長から言われた言葉で目が覚めたのです。

お前には腕がある。

その言葉で現実を受け入れることができ、青木はようやく前を向くことができました。
そして藤フーズが誕生することとなったのです。

大手商社を通して、百貨店さんへ下関のふぐを販売していたのですが、中間マージンがどうしても発生してしまいます。どうにか百貨店さんと直接やりとりがしたい。そうすれば、マージンが発生しない。売る方も高く売れて、買う方も安く仕入れることができる。そして、なんといっても直接百貨店さんの要望が聞ける!

だがしかし、青木は無知でした。今では考えられないですが、無知だからこそなんでもできました。手作りのパンフレットを作り、NTTい電話帳を借り、それをなんと花の都東京の百貨店に送りました。なんでか分からないですが、手作りのパンフレットで買ってもらえると思っていた青木。絶対そんなことないのに。でも自信しかなかったのです。

そして、そのお手製のパンフレットを百貨店の方々が見てくれたのか?を確認しに、なけなしのお金を持ってとりあえず東京に飛んでみたのです。もちろん、アポなんてとってないのです!
百貨店の前にある公衆電話でアポを取り始めた青木。会ってくれるわけないのに、とにかく電話をしまくりました。

そんな数日を過ごしていたある日。奇跡が起きたのです。

酔っ払って帰りの航空チケットが入った財布を落とした青木。失意に暮れていたのですが、奇跡が起きるのです。なんと、翌朝落とした財布が郵便ポストの上にあったのです。
その勢いで電話を掛けたのですが、ここから運命の道が切り開かれれたのです。

最初に百貨店の門が開いたのは東武百貨店でした。4回目の電話で会っていただけました。
お逢いしたらご担当の方とは同い年。一気に話が盛り上がり、夏からの販売が決まりました。
その後東急百貨店での販売も決まりました。

こうして始まった藤フーズ。
ビジネスマナーも世の中の常識を外れていた青木ではありますが、正しいことをしているという強い想い、それを信じて突き進む行動力、失うものなんてなにものない!という意味の分からない自信。この3つが掛け合わさったからこそ、無謀が共感されたのだと思います。

なにもかも失ったどん底から這い上がりできあがった藤フーズですが、これからも更に進化をし続けて、新しいカタチになることを恐れずに突き進んでまいります。

今後とも藤フーズをどうぞご贔屓いただけますと幸いです。